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開封では明代の永寧王府遺跡を発見

出所:オリジナル 作者:管理者 閲覧量:157 発表時間: 2018-07-05

 2017年、開封市ではある大型建築遺跡を発掘する際、地下から青花磁、紫砂の壺、龍紋の瓦当、お寺用の香炉、道観用の石碑等の文物を同時に大殿遺跡の中から見つけ出した。ここは以前ただの民居かそれとも王府か、役所かそれともお寺や道観か、中では特に変死と見られる二体の遺骨も発見され、この遺跡の神秘的な存在を世間に広がった。

 開封日報によりますと、近頃、開封市文物考古所は、一年間の研究で、この遺跡は明の時代の永寧府の遺跡であることがわかった。
 永寧王府遺跡は現在の開封市城煌廟街中段の道路の西、省府街の北、西は御河がある。遺跡があるところは、明代の永寧府、清の時代の大道宮があったところに相当している。2017年7月に開封市文物考古研究所は約4000平米を発掘し、地下から明代の陶器、磁器、石、銅、錫、瑠璃、木、人骨等約千点のものを発見した。
史料によると、明代の周籓王府の全体の布局は中軸線を中心に、三つの庭からなる建築群だった。南向きで、南北の長さは約122メートル、幅は約42メートル、中軸線のあるものは南から大門、障壁、義門、前庁房(銀安殿)、後庁房(寝殿)、後庁房の北は花園となり、花園の中に築山と池があった。遺跡の中から明の万歴40年(1612年)の「昭代賢宗」という木製の額を見つけたことから、ここは永寧王府遺跡という結論となった。
史書の記載では、明太祖朱元璋は明王朝を建立してから、朱家一系の力で全国を強固に統治するため、洪武9年から諸皇子を各地の王として封じられた。当時の開封は都ではなかったが、依然として、中原地区の政、文化の中心であった。このため、五番目の息子である朱橚を周王と封じられ、開封の籓王となった。永寧王の一族は開封では八代を継続し、開封では196年間暮らしてきた。崇祯15年(1642年),李自成農民蜂起軍が開封を攻め込み、政府軍と対峙状態になり、中々、城内に闖入出来なく、結果として、黄河の堤防を決壊してしまい、洪水で開封城を全滅させてしまった。永寧府もついに水没してしまった。

出土された青磁

玉で作った置物

発掘現場

遺骨

茶碗

階段

 

 

 

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